自分で仕立てたのは1着(箪笥にしまってある状態では「枚(まい)」で数えることもあるそうです)だけ。
あとは母のお古や叔母のやら、とにかくほぼほぼいただき物で——もうこれ以上は要りませんとお断りしても、増えていく。袖を通すと、その人の好みや時代の空気がそのまま残っていて、誰がどんな気持ちで選んだのだろうと想像するのが、ちょっと楽しい。
それにしても、着物を手放す一方の世の中ですよね。簞笥の奥で眠っていた一枚が、こうして次の誰かのところへ流れていく。私のところにも、そうやってめぐってきたのだと思う。
お茶のお稽古がデビュー
お茶のお稽古を始めてから、夏のお稽古に浴衣を着付けて出かけたのがデビュー。最初は帯がうまく結べなくて、何度もやり直して汗だくになった。それでも、一度着てしまえば気持ちがしゃんとするのが不思議で、それからはほとんど着物で通っている。
見様見真似の適当着付けなので、自分が楽なように帯も緩めに締める。きっちり習ったわけではないから、人に見せられるようなものではないけれど、回を重ねるうちに少しずつ手が覚えてきた。
着物を着て動かないとわからないこと
お茶の所作は、やっぱり着物を着て動かないと。お洋服だと袱紗の仕舞いつけとか、上手くいかない。
冬はあたたかいけれど、夏場は単衣でも暑くてしょうがない。どんなに薄物でも、肌着、襦袢、それから着物、そこに帯を2重に巻きつけている。
それでも着物で出かける
真冬でも部屋ではタンクトップでいるような暑がりの汗っかきの私が、何枚も重ねて帯まで巻いて、一体何をしているんだろうと思ってしまうけれど。
それでも、やっぱり、お稽古には着物で出かける。袖を通して帯を締めると、背筋が伸びて、所作までゆっくりになる。あの切り替わる感じが、きっと好きなのだと思う。