竹花器

初めて亭主を仰せつかりまして、皆さんに助けていただきながら、亭主を務めさせていただいた。初風炉——冬の炉から夏の風炉へと切り替わる、その季節の節目の茶事。お客様をお迎えする側に回るのは初めてで、当日までずっと、そわそわと落ち着かなかった。


なーんちゃって亭主

お軸も、お花も、茶器も、何もかも先生がご用意いただいた一式で、なーんちゃって亭主であることは一生変わらないと思う。でも、お菓子、懐石弁当、封切りのお茶などおもてなしの支度は、いつも楽しい。

お点前はなんだかなぁ、という程度の仕上がりだけど、水屋で最後のお片付けをしながら、ふと気づく。この一日が成り立つために、どれだけ多くの手が動いていたのだろう、と。お客様一人一人の好みに合わせてお茶碗を選んでくださった先輩たち、お庭の手入れをしてくださった先生のご主人様。表には出てこない、たくさんの心配りに支えられて、ようやく「おもてなし」が形になる。ここまで手間暇かかる稽古ごとはなかなかないかもしれない、と思う。そしてその手間のひとつひとつが、そのまま人を思う気持ちなのだと、亭主の側に立ってみて初めてわかった。


口述でしか伝わらないもの

先人の継承だし、お茶は基本口述なので、練習復習というのは先生なしに進めると自己流になってしまって、かえって命取りだと教えてもらう。

これはバレエも一緒で、何年教えていただいても、自分の癖ややり方には全然気づけない。そういうものなのかな、と。先生を信じて、教えを請う、という姿勢は共通している。


答えがない

そして、答えがない。

ここまでやれば終わり、という地点がない。続ければ続けるほど、わからないことが増えていく。けれど、それを物足りないとは感じない。むしろ、一生かけても底が見えないからこそ、飽きずに通い続けられるのだと思う。

答えがないこと——それがこういった稽古ごとの奥深さなのかもしれない、と最近は思っている。